巨匠として有名で人気のあるヤン・ファン・エイクとはどんな画家だったのか?ファン・エイクの有名な油絵画の「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の気になる中身を解説します。
ヤン・ファン・エイクとは?
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eych)は15世紀の初期フランドル派のオランダの画家です。美術史においても重要な巨匠のひとりです。
生まれた詳しい年月と場所ははっきりとはわかっていませんが、1390年頃マースエイク出身で1441年に亡くなったと言われてます。
幼少期の事や制作物についてはほぼ記録もなく不詳ですが、1425年頃以降の作品については全部とは言えないでしょうが、残っています。
当時は画家になるために師匠について修行を積むのが慣習でしたが、ファン・エイクがどこの誰について修行をしたのか?については記録もありません。
1425年頃とはブルゴーニュ公フィリップ3世にファン・エイクは宮廷画家、また外交官として仕えるようになった頃です。
ファン・エイクは外交官、宮廷画家としてフィリップ3世には非常に高く評価されていて、報酬もとても高額でした。
ファン・エイクの高額収入は当時のフランドル派の画家の中で、ファン・エイクに特別な地位を築いていきました。
ヤン・ファン・エイクと技法と絵画
ヤン・ファン・エイクを有名にした要因のひとつに油彩画技法の確立があります。
テンペラ画と油絵画技法
当時、絵を描くと言えば、テンペラ画が主流でした。テンペラ画とは顔料を卵の黄身を使って溶いて絵の具にして絵を描く技法です。
色彩に関しては美しく表現できていたのですが「不透明である」ということと「乾燥が早い」ためにグラデーションや混色が難しいという問題点がありました。
ファン・エイクは油彩画技法の大成者として認知されています。これは質の良い溶き油や乾燥材などが作られてきたこともあり、ファン・エイクが研究を重ねたことで成し遂げられた功績です。
この当時の油絵の具は現在のようにチューブに入っているようなものではありません。顔料を専用の油で溶いて描くのが油絵でした。
さらに、ねっとりとした厚みのある現在の油絵の具とは違い、どちらかというと現在の水彩画のような感じをイメージしてもらうとわかりやすいと思います。
ファン・エイクは顔料を油で溶き、色を塗り、それが乾くとまた同じようにまた塗る、という作業を何度も繰り返していくことで下の色を消さずに半透明に見える状態を作り出すことに成功しました。
この技法はグレーズ技法と呼ばれています。グレーズ技法は作品に透明感を与え、色を重ねることで今までになかった深みを与え、グラデーション表現もできるようになりました。
この技法は後の油絵画に大きな影響を与えていきました。
※このグレーズ技法の有名な作品はレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ 」です。
ヤン・ファン・エイクの絵画
北方ルネッサンス絵画の特徴はイタリアルネッサンス絵画よりも緻密であることです。それは同時に技術力の高さも裏付けます。
北方ルネッサンスのフランドル派のファン・エイクの作品も、どれも徹底的に緻密に描写されています。つまりファン・エイクは人物と背景を同じように筆を入入れたのです。
その並外れた描写力での綿密な表現は、質感の表現に繋がっていきました。
当時の絵画には写実的な要素を求められていたので、それと相まってファン・エイクの物を見る観察力、描写力は高く評価されました。
また、絵画の構図としても肖像画は正面を向いたものが大半でしたが、ファン・エイクは正面と横向きの中間の位置が一番自然であると考えました。
顔が正面から斜めにずれたことで、顔の陰影がわかりやすくつけやすくなりました。そのおかげで立体感が生まれ、表情の表現も豊かになりました。
正面と横向きの中間地点というは、ここでも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ 」を想像するとわかりやすいですね。
現在でも人物画や肖像画を描く時にはこの角度が好まれる傾向にあります。ファン・エイクは現在のセオリーとなっている構図を考え出したと言えます。
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」の解説
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」はとても有名なファン・エイクを代表する作品です。教科書にファン・エイクの作品と載っていたのを覚えている方もいるのではないでしょうか?
これはアルノルフィーニ夫妻の婚姻契約の場面を描いた作品です。
アルノルフィーニ夫婦について
「アルノルフィニ夫妻」は長い間イタリア商人のジョヴァンニ・ディ・アリーゴ・アルノルフィーニと妻のジョヴァンナ・チェナーミと考えられてきました。しかしアルノルフィーニ夫妻は実際に結婚したのは1447年です。
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」に記されている日付1434年の13年後のことで、さらにファン・エイクが死去した1441年よりも後であることが近年、判明しました。
ですので現在はジョヴァンニ・アルノルフィーニの従兄弟のジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニ夫妻 が描かれていると考えられています。
描かれている女性がジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニの最初の1433年に死去した妻のコンスタンツァであるのか、二番目の内縁の妻であったのかは定かではありません。
もし死去した最初の妻のコンスタンツァの場合は、この作品が描かれた時(1434年)には彼女はすでに死去しているため、追悼の意を含む作品となります。
鏡に仕掛けられていること
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」を有名にしている理由のひとつはこの鏡の存在にあります。
ファン・エイクはここにも色々な情報を仕掛けています。
鏡は新郎と新譜の間にあります。よく見るとそこにはアルノルフィーニ夫妻の他に中央に青い服の男性、そしてその隣に赤い服の男性が描かれています。
これは青い服の人物が結婚の立会人、赤い服の人物はファン・エイク本人と思われます。
赤い服の男性は絵を描いているのではないのでファン・エイクは画家としてこの場合にいるのではなく、結婚の立会人として赤い服の男と現場にいたことが分かります。
当時の結婚の契約には神父がいなくても成立したそうです。
鏡の正面に映る2人の人物は画面手前には描かれておらず、鏡の中だけに存在しているということは、ファン・エイクと青い服の男性は実際には描かれていない範囲にいるのに、鏡には写っているということになりますね。
そうするとファン・エイクと青い服の男性は私たちと同じ、絵を見る側に近い立ち位置にいることが分かります。
ですから鏡の中に描かれいることをよく観察してから、全体を見ると同じ空間にいるような不思議な錯覚を起こします。
また鏡の上に文字が書いてあるのが分かります。これは「ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年」とラテン語で書かれています。
文言からするに画家のサインではなく、立会人としての署名のようです。こんなところに署名を残すあたりも、ファン・エイクが仕掛けを楽しんでいる様子が伺えます。
服装と季節
窓の外には桜の木が実をつけているので、季節が夏だということが容易にわかります。
それに対して夏であるのに夫婦の服装は男性はショートコート、女性は厚手の布のドレスです。
これは男性が貴族ではなく商人であったため控え目な色合いの衣装にされたのではないかと思います。
当時、貴族は派手な装飾品を纏って描かれる風潮がありました。それに比べて、商人という立場をわきまえ、男性も女性も控え目な色合いの服装にし、毛皮などを入れることで夫婦が裕福であったと思わせる仕掛けもされています。
妊婦のような新婦
これは誰もが「妊娠している」と一瞬は感じると思います。
結論から言うと新婦は妊娠していません。
これは当時の流行の服装だったのです。妊婦のようなファッションがなぜ流行ったのかと言うと
当時、ヨーロッパ全土でペストが流行し、たくさんの命が失われました。そして生命の誕生を期待する風潮の中で、その象徴とされたのが妊婦姿でした。
妊婦に似せたスタイルが究極の女性美とされ、女性たちはお腹の周りに詰め物をしてふっくらとさせて美を競いました。
命の誕生が美しいものとされるのは絵画の世界でも常に見られますが、妊婦姿を究極の美としたこの時代が新しい命を羨望していたことがよく伝わってきます。
また、夫婦が将来妊娠を希望していたことは、ベッドの支柱に出産の守護聖人、聖マルガリタと思われる彫刻があることでも分かります。
重ねられた手の意味
新郎が左手で新婦の右手を握る、という一見「あれ?」と違和感を感じる手が描かれています。
新婦の手をこちら側に向けて手を握るのは、結婚の契約を表すと言う説が有力なようです。
この手の繋ぎ方に意味がありそれを象徴として入れたかったためか、新郎の左手は少し不自然な腕の長さにみえます。これは腕が奥側に曲がっているためなのかもしれませんが、ファン・エイクにしては少しぎこちなさを残す部分となっています。
窓辺のオレンジの意味
当時、裕福さを表現する方法のひとつに暖炉を描くというものがありました。
この「アルノルフィーニ夫妻の肖像」には暖炉が描かれていません。その代わりに描かれているのが窓辺のオレンジです。
オレンジは当時は高級品でこれを窓辺の日にあたる場所にみずみずしく描くことでここでもアルノルフィニ夫妻の裕福さを表現しています。
その他のシンボル
シャンデリアはよく見ると新郎の上の蝋燭に火が灯っています。これはキリストを意味するシンボルとして描かれています。
また手前の足元の犬は愛と誠実のシンボルです。
木靴が脱いであり、そして赤い女性用の靴も脱いであるのが分かります。二人が靴を脱いでいる光景というのは神聖な儀式の象徴です。
ヤン・ファン・エイクの作品の楽しみ方
ヤン・ファン・エイクがひとつひとつ描くものには意味があり、それを徹底的に綿密に描くことでシンボルとしての存在感を持ちます。
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」からはヤン・ファン・エイク自身が鑑賞する人にその意図を読み取ることを望んでいるのが手にとるように分かります。
だから鏡のような人を惹きつける仕掛けをするのでしょう。
ヤン・ファン・エイクの作品は写実的でシンボルとしての表現に富んでいて、とても分かりやすく、描かれた背景を知ると非常に楽しむことができます。
描かれた背景を知るとまた違う視点から絵を鑑賞できますからね。
日本ではヤン・ファン・エイクの作品を観ることはなかなかできませんが、海外に行くことがありましたら、ぜひ生のヤン・ファン・エイクの仕掛けに触れて欲しいと思います。